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強迫とは

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 恐怖と関連のある言葉として「強迫」があります(同じ音である「脅迫」とは全く関係がありません)。強迫とはちょっと乱暴ではありますが簡単に言ってしまえば「わかっちゃいるけどやめられない」考えや行動のことです。自分で考えようと思っているわけではないのに頭に浮かんできてしまう考えを「強迫観念 obsession」、やりたいわけではないのにやらないではいられない行動を「強迫行為 compulsion」と呼びます。
 「いろいろな恐怖」の項にも出てきたクモ恐怖などは、毒グモではなくなんでもない小さなクモが恐くてしかたない、というものです。自分では怖がる必要がないと「わかっちゃいるけど」恐くてしかたないのがほとんどです。不潔恐怖も自分では汚くないと「わかっちゃいるけど」汚いのが恐い、という人もたくさんいます。このような恐怖は強迫観念と同等のものと考えることができます。
 出かけた後でガスの元栓を閉めたかどうか気になってしまう、鍵をきちんとかけたかどうか不安でしかたない、といことを体験したことがある人は少なくないでしょう。特にこれから長い旅行に出かけるという時などは特にそうでしょう。しかし普段の生活の中で、明らかに鍵を掛けたのが「わかっちゃいる」にも関わらず、その場を離れると鍵が心配になってしまって確認に戻ってしまっていつになっても出発できない、という人がいます。こういう確認しなくてはいられない状態を確認強迫といいます。また、不潔恐怖を持つ人が手やからだを洗い続けている状態を洗浄強迫と呼びます。確認強迫や洗浄強迫は強迫行為のなだでも代表的なものです。
 強迫観念と強迫行為を主な症状とする病気を強迫神経症とか強迫性障害 obssedive-compulsive disorder, OCD と呼んでいます。

社会恐怖

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  人前に立ったり、人から注目される状態で緊張感、不安感が募ったという思い出は誰にでもあると思います。しかし人によっては「不安感が強すぎてその場でうまく振舞えない」「あんな不安感に襲われるくらいならもう人前に立ちたくない」と考えねばならぬほど不安感が強かったり、不安感を覚える状況が世間にありふれてしまっているようなケースがあります。こういった人と人との関わり合いの場面に対して強い恐れをいだいてしまう状態を広く「社会恐怖 social phobia」と呼びます(社交恐怖、と呼ぶこともあります)。人前に出ることが恐い、話をして周りの人をしらけさせるのが恐い、他人の視線が恐い、自分の視線や表情・態度が他人に嫌な思いをさせてしまうのが恐い、他人と一緒に食事をするのが恐い、人前に出てからだが硬くなったり、顔が赤くなったりするのが恐い、など恐怖の中身はいろいろありますが、いずれにせよ結果として人とつき合うことが苦痛となって引きこもってしまったりするきっかとなったりします。
 日本では古くから「対人恐怖症」という概念が知られており****。この対人恐怖症は日本の文化との関連が強いと言われており、アメリカの精神科の教科書などでは、taijinkyofusyo とローマ字書きの病名が載せられているほどです。

いろいろな恐怖

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 不安と違って対象がはっきりとした「恐れの気持ち」を、精神科では「恐怖 phoobia」と呼びます。恐怖を病気としてとらえた場合は「恐怖症」とも呼びます。
 恐怖は対象別にそれぞれ名前が付けられ、たくさんの種類が知られています。詳しく調べた人によれば、百種類以上のの「○○恐怖」があるとのことです。前にもあげましたが虫のクモが恐い「クモ恐怖 arachnophobia」、とがったものが恐い「尖端恐怖 aichmophobia」、汚れやバイ菌が(ついてしまうのが)恐い「不潔恐怖 misophobia」「細菌恐怖 bacillophobia」など何となく理由が判るようなものもあれば、虫ではなく空にある雲が恐い「雲恐怖 nephohpobia」やある特定の数字を見たり聞いたりすることを恐れる「数字恐怖 arithmophobia」など怖さがどこから来るのか理解しにくいものもあります。なかには、「『ピーナッツバターが口の裏側につくことに対する』恐怖 arachibutyrophobia」などという冗談のようなもの(恐らく冗談なのでしょうが、大きな英語の辞書にはきちんと掲載されています)や、「ニンニク恐怖 alliumphobia」といったドラキュラのためのような恐怖症もあります。
 モノや事柄に対する恐怖ではなく、「ある特定の状況」に対する恐怖も存在しています。「閉所恐怖 claustrophobia」「高所恐怖 acrophobia」などはよく知られていますし、「広場恐怖 agiraophobia」「社会恐怖 social phobia」などは恐怖症の一つというよりそれぞれが病気としてひとつの単位となっています。

  「不安」も「恐怖」も日常の会話で使われる、意味をあらためて考えるまでもないことばです。でも精神科で医学用語として使うときには、定義を厳密にしなければならないことがあります。精神科で使う「不安」と「恐怖」について少しみてみましょう。
 対象がそれほどはっきりしない漠然とした恐れの感情のことを「不安」と呼びます。何が恐ろしいのか判らないけれど、何だか怖い、胸騒ぎがする、落ち着いていられないという状態です。不安には自律神経症状といって、心臓がどきどきしたり、口が渇くなどのからだの症状も伴います。
 不安は誰でも体験したことがあるごくふつうの精神状態です。暗い夜道や試験、病気や死など「そこから逃げ出したくなる」ことやものを目の前にすると不安がおきます。いってみれば「不安」は危険を感じたときに「そこから逃げ出せ」という非常ベルのようなものです。このベルは誰のからだにも自然に備わっているふつうの仕組みです(こういう仕組みを「生理的」といいます)。
 「不安だから暗い夜道を通らないで回り道する」「不安だから試験勉強を一生懸命する」「早めに病院に行く」などの行動をうながします。その結果強盗に遭う危険や、試験に落ちる危険、病気担ってしまう危険を避けることができることができるというわけです(それでも試験に落ちてしまうことはありますが)。
 一方同じ恐れの感情でも、「不安」よりも対象がはっきりしているものを「恐怖」と呼びます。恐れの対象は特定のものやことがら、状況などさまざまで、たくさんの種類があり、対象に「恐怖」ということばをつけて表します。英語ではフォビア(phobia)という語尾がつきます。たとえば、虫のクモが恐くて仕方ないときには「クモ恐怖」、arachnophobia(arachnno=ギリシャ語でクモ)と呼びます。幕末に活躍した坂本龍馬がクモ恐怖だったそうです(このサイトを運営しているサードライフのスタッフにもクモ恐怖の人がいます)。
 「恐怖」はもっともな理由がある場合と、そうでない場合がありますが、いずれにせよそのせいで困ったことが起きなければ何も問題はありません。しかし、恐怖が強くて生活に支障を来すような場合は治療の対象になることがあります。

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